最近街を歩いていて、女性のハイヒールやブーツのかかとの靴音が気になる。靴が慣れないせいなのだろうか、かかとを引きずって歩いている女性が多いように感じる。ノーベル文学賞を噂されている小説家がレディが上質のハイヒールで歩く靴音と言うものがあると書いているが、街中ではそんな靴音にはなかなか出会えない。
閑話休題、建築にも音の品質がある。一番は木製のドアの開閉音だ。バシャンと閉じてガタガタのやるせない気持ちになるドアが多い中で、スタンとしまる気持ちの良いドアに出会うと、そこに込められた作り手の知恵と経験、技術が伝わってきてうれしい。
私たち設計者が細心の注意をもって寸法や仕様を決める。遊びを少なくするには程よく乾燥した均一な良い材料が必要だ。大工が作る建具枠と工場でつくる建具のコンビネーションはうまくいくだろうか。良い金物を使い、職人が高い精度で取り付けなければならない。ドアというさまざまな業種が出会う交差点では、そのすべてが調和しないとうまくいかないのである。
中学生の頃に寺田寅彦の「靴のかかと」というエッセイを読んだ。かかとに減り止めの鉄の小片を取り付けたら不快な音がして困った。靴はそれ自身が減らないために履くのではなく歩行のためであると憤るが、慣れるうちにリズミカルな心地よい音になった。靴のようなものでも新しいものに慣れるのは大変だ、いわんや新しい技術や思想を取り入れるのは大変であるという話だったと思う。
しかし、建築の世界では手間と費用のかからない新しい施工方法にいとも簡単に流れていってしまい、培ってきた経験や技術を置き去りにしてしまうことが多い。枠と一体で売っている既製の木製ドアは簡単に取り付いて、前述の思いや心配を一掃してしまう。だが、程々の性能のものは心地よい音までは演出してくれないのだ。
ドア本来の機能とその開閉音はなんの関係も無いが、機能を真面目に追求した結果として心地よい音がついてくる。環境性能など、求められる建築像は大きく変わってきている。新しい技術や思想は大胆に取り入れなければならないが、先人の知恵に耳を傾け積み重ねることでしか出来ないこともある。そういうドアを作りつづけたいと思っている。(2010年1月)