vol.002「環境に優しいということ」

数年前に自家用車を所有することをやめた。直接の原因となったささいな事情はあるのだが、環境に配慮してという気持ちが大きかった。

祖父の代からの根っからの車好きで、それまでは学生時代を含めて外出はほとんど車だった。一時期はフランス車に凝って、中古の小型シトロエンにフラット4エンジンのプラグを交換するための特殊な道具と予備のプラグを積んで走り回っていた。車に乗ることをやめようと決心したときに、運転の楽しみを我慢できるかどうか心配したが、意外や意外、出かけるときの気持ちがとても楽になったのだ。外出先で駐車禁止の取り締まりを気にしない、いつでも酒が飲めることなどが思いの外に快適だった。

ハイブリッド車が脚光を浴び始めたのは同じ頃だ。トヨタやホンダのハイブリッド自動車は、間違いなく日本が世界に誇りうる素晴らしい技術だと思っている。一般的な自動車利用の需要に対して必要な技術であることも疑わない。しかし、個人的にはそこまでして車に乗らなくてもいいのではないかという気持ちになり、以来、車に興味がなくなってしまった。

それなのに、最近また車に乗っても良いかなと思い始めている。きっかけはフォルクスワーゲンのポロのモデルチェンジだ。フォルクスワーゲンのあまりの合理性にそれまでは車好きの気持ちが動かされないでいた。それが新しい1200CCのエンジンを載せてニューモデルになった。最近の車としてはとても小さなそのエンジンは、小型車といえ十分な大きさのボディを気持ちよく走らせるのに十分な出力を持っていて、かつ17km/Lとその排気量にふさわしい低燃費である。新しい方式ではなく、エンジン自体を軽量化して噴射方式を改善した技術はとてもバランス感覚の優れたものだと思う。ヨーロッパの車作りはやっぱり侮れない、車好きの気持ちを1200ccのエンジンにくすぐられてしまった。

建築にとっても環境対応は現時点で最も大切な技術開発の方向性である。私も断熱気密仕様を始めとしてさまざまな試みを設計に取り込み、毎回その仕様が進化していく。最近では東京でも壁厚200ミリを超えるような仕様が推奨されるようになってきて、300ミリで無暖房、真冬でもシャツ一枚などという優れた技術も試みられている。その進化はあたかも現在の電気自動車の開発にも似て新しい時代を感じさせ、これまでの価値観を淘汰する勢いだ。しかし、北海道はともかくとして、関東以西で本当にそんな優れた技術が必要なのだろうか?

真冬にシャツ一枚で暮らさなくても良い。私ならセーターを着る。乱暴な言い方をすれば、断熱気密はそこそこでQ値が倍でも家の大きさが半分ならば全体の熱損失は同じになる。電気自動車ではないけれど、都会に住むならば燃費の良い小型車にして、出かけるときはなるべく電車やバスを使う。自家用車を使う距離を半分にすればガソリン消費も半分だ。ましてや電気自動車に近い低燃費のガソリンエンジン小型車ならば、特殊な電池等の製造や処理の問題もなくなるのだろう。

科学技術は進化の方向性が単純で、それゆえに常に過剰進化の危険性を持っている。一方、建築設計は科学だけでは割り切れないから、数値のみに頼らないバランスの良い思考が大切なのだ。私は環境問題の会議でペットボトルのお茶が配られると興ざめする。かばんにはいつもコンビニの袋を入れていて不要な袋は断る。電気はこまめに消して歩く。環境に優しい建築にはバランスが大切だ。設計は右に左にぐらぐらしながらいつも悩んでいるが、技術を過信することのなく生活者としてのバランス感覚で着地点を見つけていきたいと思っている。(2010年4月)