vol.004「あるべきようは」

私は東京藝術大学建築科を卒業して、大学院を天野太郎先生の研究室で学びました。先生は戦後間もない1952年に北米に渡り、旧帝国ホテルを設計したことで知られる米国の建築家・フランクロイド・ライトの教えを受けた方です。帰国後、工学院大学と東京藝術大学で後進の指導にあたるとともに、ライトの「有機的建築」の思想をもとに数々の実作を残されました。東京藝術大学には先生の設計による図書館、絵画棟、彫刻棟があります。ローコストにもかかわらず豊かで力強い空間です。

当時の藝大建築科では2年生で先生が担当する住宅の設計課題がありました。先生の実作が建つ敷地に別の条件を設定した課題でしたが、玄関、居間、食堂、台所のつながりやサーキュレーションなどのプランニングの基本をみっちり教え込まれました。実際に建つ住宅を参照しながらライトのプランに話しがつながる具体的な指導は、右も左もわからない若い建築学生にとって厳しくも楽しいとても充実した時間でした。

その後先生はお体を悪くされて、私が大学院2年の頃には私たちが先生のご自宅にお伺いして教えていただくようになり、残念ながらその年で研究室を閉じられて私の代が最後の院生になりました。

2010年5月に東京藝術大学資料館で天野太郎建築展が開催されました。決して派手にジャーナリズムに取り上げられた建築家ではありませんでしたが、その誠実な作風が今の建築の風潮のなかにあって新鮮に見えるのか展覧会は大きな反響を呼びました。展覧会のタイトルとなった「あるべきようは」は鎌倉時代の僧明恵が心のよりどころにした仏教の教えです。流されてあるがままにではなく、本来あるべき姿になろうと求めることであると思います。先生はこの言葉を大切にして設計に取り組んでおられたわけですが、先生が寡黙でいらっしゃったのか私が不勉強だったのか、恥ずかしながらこの展覧会で初めて知りました。

古い話ですが、小学校時代の恩師の口癖に「らしく」という言葉がありました。男の子らしく、女の子らしく、子どもらしく、上級生らしく、日本人らしくあることが大切で、良い意味でらしくあれ、悪い意味でらしくないことをするなという教えでした。「あるべきようは」に通じる考えと思い出しました。

建築はそれが正しいかどうかという考えがなじまないもので、完成して時間の洗礼を受けてはじめて評価につながるものだと思います。その設計は極めて広範な事象を対象にして客観的な判断をしながらも、それを恣意的に組み上げていく作業です。だからこそ全く同じ条件下にあっても設計者毎に異なる解が導き出されるわけで、設計者はその過程において自分なりの道標を見つけながら取り組まなくてはなりません。

さまざまな価値基準があるなかで自分は道標が見定められているのか、恩師の「あるべきようは」に感じ入り、「らしく」を改めて思い出した展覧会でした。(2010年8月)