vol.008「昔話」
大学院に在籍していた僕は、イタリアに留学しようか就職しようかと漫然と卒業後の自分を考えていた。カルロスカルパの濃厚な建築に傾倒しながらも脈絡無くアトリエ5の知的なチームワークにあこがれている、いわば軽い建築学生だったのかもしれない。第一工房の大阪芸大アートホールが発表されたのはまさしくその頃だった。
新建築に掲載されたその写真は衝撃的だった。記事の最初の写真を見た時に自分...[続きを読む]
vol.007「小さな家」
絵本の話ではない、僕がつくりたい家のことだ。
あまりぜいたくは言えないが敷地は大きめが良い。ぎりぎりの敷地に目一杯建てると、家がどんなに良くても長持ちしない。次の世代が、そしてその次の世代も継いでくれる家にするには、手入れがよくできるように十分なゆとりが必要だ。
木造平屋が良い。ゆとりのある軸組に深い庇をかける。外壁は建て主の好みで良いが、落ち着いた色のオーソドックスな...[続きを読む]
vol.006「街を歩く」
同じ地域の建築家仲間が集まり定期的に街歩きを楽しんでいる。
東京の街歩きには永井荷風、種村季弘、川本三郎と先達が多いが、なかでも荷風さんのそれはリズムが良く背筋が伸びて、いまにも軽やかな下駄の音が聞こえるようで好きだ。
「裏道を行こう、横道を歩もう。かくの如き私が好んで日和下駄をカラカラ鳴らして行く裏通りにはきまって淫祠がある。」
日和下駄の第二章の冒頭である。荷風さ...[続きを読む]
vol.005「こどもの環境」
不思議なことに50年も昔の幼稚園の頃の記憶が鮮やかです。当時ですら古色蒼然といった印象のスクラッチタイル張りの園舎。広い園庭の山の上の大きな銀杏の木や先生の目の届かない秘密めかした裏庭。当時の私には無限の広さに感じられた園舎は、しっかりとした手触りがありところどころに上品できれいな飾りもありました。自分の家以上の風格と安心感が感じられ、子供心に誇らしく感じていました。
保...[続きを読む]
vol.004「あるべきようは」
私は東京藝術大学建築科を卒業して、大学院を天野太郎先生の研究室で学びました。先生は戦後間もない1952年に北米に渡り、旧帝国ホテルを設計したことで知られる米国の建築家・フランクロイド・ライトの教えを受けた方です。帰国後、工学院大学と東京藝術大学で後進の指導にあたるとともに、ライトの「有機的建築」の思想をもとに数々の実作を残されました。東京藝術大学には先生の設計による図書館、...[続きを読む]
vol.003「靴音」
最近街を歩いていて、女性のハイヒールやブーツのかかとの靴音が気になる。靴が慣れないせいなのだろうか、かかとを引きずって歩いている女性が多いように感じる。ノーベル文学賞を噂されている小説家がレディが上質のハイヒールで歩く靴音と言うものがあると書いているが、街中ではそんな靴音にはなかなか出会えない。
閑話休題、建築にも音の品質がある。一番は木製のドアの開閉音だ。バシャンと閉じ...[続きを読む]
vol.002「環境に優しいということ」
数年前に自家用車を所有することをやめた。直接の原因となったささいな事情はあるのだが、環境に配慮してという気持ちが大きかった。
祖父の代からの根っからの車好きで、それまでは学生時代を含めて外出はほとんど車だった。一時期はフランス車に凝って、中古の小型シトロエンにフラット4エンジンのプラグを交換するための特殊な道具と予備のプラグを積んで走り回っていた。車に乗ることをやめようと...[続きを読む]
vol.001「生活の力」
休日の朝早くそっと玄関を出る。街はいつもならすっかり起きている頃だが、たまに犬を散歩させている人に会うくらいでまだひっそりとしている。公園をぬけて、よその家の庭先の花を楽しみながらゆっくり歩いて、開店前の床屋に着く。床屋のご主人もまだ起ききらないようで、奥でコーヒーをすすっている。そこはご主人と奥さんの二人で切り盛りする小さな床屋で、私の髪を切ってくれるのは奥さんである...[続きを読む]